『やがて君になる 佐伯沙弥香について』(入間人間)― 諦めるのがうまい先輩の、自分から選ぶまで

『やがて君になる』の本編で、佐伯沙弥香は生徒会にいる先輩として出てきます。後輩に慕われていて、たいていのことを落ち着いてこなす人です。本編の記事では侑と燈子のことばかり書きました。沙弥香がどうしてそこに立っているのかには触れていません。

入間人間の『やがて君になる 佐伯沙弥香について』は、その沙弥香の側から書かれた全3巻の小説です。小学五年生のところから始まって、大学生になったあとまで続きます。イラストは原作者の仲谷鳰が担当しています。

やがて君になる 佐伯沙弥香について 1巻 書影

好きになれるのが、女の子だけだった

1巻は沙弥香が小学五年生の頃から始まります。通っていたスイミングスクールで、同じ年の女の子が沙弥香にまっすぐ好意を向けてきます。沙弥香はそれに答えを出せません。出せないまま、スクールを辞めます。理由は誰にも話しませんでした。

思い出せないほどに時間を経ても、消えることはない。傷だって、温度だって、なんだって。— 1巻 扉絵

中学に上がると、仲の良かった先輩・千枝から告白されます。沙弥香はそれを受け入れます。好きだからではなく、断る理由が見つからなかったからという受け入れ方です。この付き合いを、沙弥香はのちに手痛い失恋として振り返ることになります。

1巻の最後で、時間が先に進みます。まだ本編には出てこない名前を出して、沙弥香はこう言います。

そんな七海燈子と出会って、私は納得する。
理解でもなく、諦めでもなく、そこにあるのは自分への納得。
私は、女の子に恋することしかできないんだって。— 1巻 192ページ

スイミングスクールの一件も、千枝との失恋も、この一文のための布石として置かれています。燈子と出会って初めて、沙弥香は自分を納得させることができました。その燈子とどう出会うのかは、まだ1巻では語られません。

間違っている方を、自分で選ぶ

2巻で沙弥香は高校に上がります。1巻の最後に名前だけ出てきた七海燈子に、入学式でようやく出会います。もう人を好きになるのはやめようと決めていたのに、その瞬間からそれが崩れます。

同じクラスになって、生徒会でも一緒になって、沙弥香は燈子を近くで見ていきます。見れば見るほど「好き」が言えなくなります。それでも黙っていることを、沙弥香は自分の意思で選び取っています。

だから私はなにも言わない。正解を飲みこんで、間違っている方を選ぶ。
それが、私の選択。燈子の隣にいるために選んだ、私の答え。— 2巻 扉絵

言えないまま2年が過ぎます。高校を卒業する頃、沙弥香は燈子との関係にひとつの区切りをつけます。

これからも、燈子と共に歩いていきたいと。
結果としてそれは叶わなかった。
それでも、私も燈子と一瞬だけでも、交差できたのだと思いたい。
たとえそこから、道を違えていくとしても。— 2巻 170ページ

2巻はここで終わらず、もう一段先に進みます。時間を少し先に進めて、まだ本編には出てこない名前に触れるのです。

人を好きになるということを、全部分かった気になっていた。
私が本当にそれを知ったのは、『彼女』と出会ってからだった。— 2巻 171ページ

『彼女』が誰なのかは、2巻の中では明かされません。燈子との一瞬の交差を受け入れたすぐあとで、沙弥香はもう次の人のことを話しています。正体は3巻に出てくる後輩、枝元陽です。

大学生になって、初めて自分から選ぶ

3巻の沙弥香は大学二年生です。一つ年下の後輩・枝元陽が、これまでの誰とも似ていない距離の詰め方で近づいてきます。沙弥香は初めのうち警戒します。3巻はこの巻でいちばんの場面を、時系列より先に置くところから始まります。

だってわたし、今、あなたのことが好きだもの— 3巻 11ページ

その場面が実際に訪れるのは、誕生日の飲み会の帰り際です。酔いに任せて、陽がこう切り出します。

えぇと、その……好きなんですけど— 3巻 98ページ

打ち明けられた沙弥香の意識は、半分は目の前の陽に、残り半分はまだ中学時代の記憶に向いていました。告白してくるのは陽の側です。それでも1巻で千枝を受け入れたときとは違います。沙弥香は自分がいま何を思っているのかを確かめにいきます。その先でこう思い至ります。

それが恋だと知っていた。— 3巻 106ページ

1巻は好きになられる話で、2巻は好きだと言えない話でした。3巻だけが、沙弥香の側から踏み出す話になっています。

合う人、合わない人

沙弥香という人のことをもっと知りたいと思った人に向いています。2巻は本編と同じ時期を沙弥香の側から書いているので、全8巻の本編を先に読んでから手に取るほうが受け取れるものが多いです。

逆に、燈子と侑のその後を読みたい人には向きません。3冊とも沙弥香の恋の記録です。本編はコミックですが、こちらは文庫の小説になります。

まとめ

本編を読んでいたときは、沙弥香を諦めるのがうまい人だと思っていました。3冊を読み終えると、うまいのではなく、自分から選んだことが一度もなかっただけなのだと分かります。3巻でようやく、沙弥香は誰かに選ばれるのを待つのをやめます。

2018年から2020年にかけて電撃文庫から刊行され、全3巻で完結しています。本編では脇にいた先輩が、こちらでは最初から最後まで真ん中にいます。

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